なぜかまた山上徹也について論じている。

英語で書いて、頑張って雑誌に投稿しているのだが、そうやっていると、日本語で書くことが何になるのか、ますますよくわからなくなる。15年前、あるいは10年前、自分がまだ駆け出しだったころは、いわゆる大手メディアとは別の、そこからずれたところだからこそ、思い切ったことが書けたし、読んでくれる人もいたように思うが、だんだんと、そのようなズレた媒体にも大手メディアで書くような人が増えてきて、自分のようなマイナーな人間の居場所がなくなってきた。英語で書こうと決意して、気づいたら7年くらい経ったが、あのとき決意して本当に良かった。このままだと、日本語の媒体からはお呼びがかからなくなるだろうし、書いても無視されるのだろう。英語で書くことで、そんなストレスフルな状況から逃げ出すことが可能になる。

それでも、エレキングという音楽系の媒体からは、ときどき原稿依頼がある。ありがたいことだ。最近は、山上徹也について書いてくれという依頼があった。例のユーチューブ番組をどなたかが見てくれたらしく、それが面白かったと聞いたということで、それで依頼があったわけだ。