この世の地獄感


 そういえば、二〇一七年の四月、市役所で国民健康保険への加入手続きをしていたとき、七〇歳くらいの男が、大声でわめき散らしていた。年金だろうか役所で手続きをすれば、何らかのかたちで得ることのできるはずの金が支給されていない、そのことに怒っているようだ。だが、男の発する声は、誰か具体的な人、たとえば窓口にいる市役所の職員に、面と向かって向けられているのではない。待合室のベンチに腰掛けたまま男はわめいている。その視線は、この人が頭のなかにこしらえあげた敵のような存在に向けられているようで、だから眼力は強いが何かを受けとめる余力はそこになく、ゆえに空虚である。たしかに、年金が段階的にカットされていく−−先日の報道では、七五歳にならないと支給されなくなると書かれていた−−と言われている。ということは、この人は、以前であればもらえると言われ、もらえると信じていた金が知らぬ間にもらえなくなって、それに対して憤り、市役所に乗り込んで、ベンチに座って喚き散らすという孤独きわまりなき抗議行動に打って出たのだと考えることもできる。