マクルーハンとの違い


 これまでにも、情報通信技術が新しい現実をつくりだすということは、しきりに議論されてきた。東浩紀が述べているように、電子メディアそのものが新しい空間世界をつくりだすと主張したのは、マーシャル・マクルーハンだった。電子メディアの延長上に「地球村【グローバル・ヴィレッジ★強調】」が実現すると予想したマクルーハンは、「『村』の場となるのは【メディアそのもの★強調】、この現実=地球のうえに(ラジオやテレビ等を通じ)薄く皮膜のように覆いかぶさった情報のネットワークだとも主張しているように見える」と東は述べている(『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+』、九頁)。そしてマクルーハンは、メディアがつくりだす現実においては「単一の集団意識」が形成され、人びとがこの集団意識へとアクセスするところに地球村が生じると考えた。つまり、電子メディアがつくりだす現実は、人びとの集団意識、精神圏、精神世界の発生とともに語られてきた。
 これに対し、フロリディは、ICTがつくりだす現実をそれだけで考えるのではなく、人間の日常的な生活領域そのものへの認識とそのあり方との関連で考えようとしている。